遺伝子研究、がん治療、地域医療情報etc.アメリカの最先端医療視察レポート

最先端の研究や治療が多数行われているアメリカ。その現場の実際について、多摩大学大学院教授の真野俊樹氏が昨年末に行った視察のなかから、ニューヨーク州のがん、遺伝子治療の最前線、日本でも試行錯誤が続く地域医療情報の管理システムについて紹介する。加えてカナダの医療事情についても触れてもらった。

多摩大学医療・介護ソリューション研究所所長
多摩大学大学院教授
真野 俊樹
1987年名古屋大学医学部卒業。医師、医学博士、経済学博士、総合内科専門医、MBA。臨床医、製薬企業のマネジメント、大和総研主任研究員などを経て現職。東京都病院経営評価委員、厚生労働省独立行政法人評価有識者委員などを兼務。医療・介護業界にマネジメントやイノベーションの視点で改革を考えている。『入門 医療政策』(中央公論新社)など著書多数。

真野 俊樹 写真

  • 地域医療情報

非営利組織を介しNY州ほぼ全ての医療機関が
1600万件超もの電子カルテデータを共有

視察先
Healthix
【ヘルシックス】

担当患者の受療行動を
リアルタイムで医師に通知

アメリカではすでに電子カルテデータの大規模な共有が実現している。ニューヨーク州では、州の補助で運営されている非営利組織「ヘルシックス」が、州の約1600万人分もの電子カルテデータを管理。個々人の通院歴や服薬履歴、画像、在宅医療の内容などを、NY州を中心とした約4400組織の医療機関に共有している。患者は、州内のほとんどの医療機関で、自分のデータを把握してもらえる仕組みだ。

特筆すべきは、患者の受療行動を通知する機能。他院を受診したり救急で搬送されたりといった情報が、医師のスマートフォン等にリアルタイムで配信される。さらに、将来の予想リスクも通知される。「このままでは人工透析になるリスクが高い」など、電子カルテデータを分析し、医師に知らせてくれるのだ。

「家庭医が再診時の参考にしたり、救急医が既往歴を把握したりと多様に活用され、医療の質向上につながっています」(真野氏、以下同)

ヘルシックスは2005年以降、いくつかの民間組織が統合しながら拡大し、2012年にNY州の補助を受けて現在の規模となった。データは電子カルテから自動的に吸いあげられ、病院側の手間はほとんどかからない。また、非営利組織であることから、保険会社や製薬会社へのデータ販売などは行っていない。

「日本では市や病院グループなど小規模な情報共有はできていますが、地域をまたいだ受診には対応できていません。県が補助金を出すなどし、ヘルシックスのような大規模なデータ共有が実現するといいですね」

資料1 ニューヨーク州を中心に約1600万人の医療情報を共有
ニューヨーク州最大の地域医療情報交換組織
資料2 患者の自他院の情報が閲覧できる
資料3 かかりつけ医に担当患者の受療行動情報がリアルタイムで配信される
  • 最先端の遺伝子研究

遺伝子解析の実績で全米トップ10内の最先端病院
公的基準をクリアし、遺伝子検査の質を保証

視察先
Mount Sinai Hospital
【マウントサイナイ病院】

日本でも遺伝カウンセラー、
専門栄養士の養成が必要

1940年代に人類遺伝学が確立し、世界の遺伝子研究をリードしてきたアメリカ。NY州の「マウントサイナイ病院」は、遺伝子解析の実績で全米トップ10に入る。基礎研究と臨床を行う「ジェネシックス・ディビジョン」では、専門スタッフによる遺伝子検査や治療を行っている。対象となる疾患は、成人のがんや神経疾患、結合組織病、小児の染色体異常症や先天奇形、発達遅滞・知的障害など幅広い。加えて、新生児マススクリーニングと出生前スクリーニングも担っている。

「同院の研究では、がんなどの発症リスクを持った遺伝子が見つかるようになりつつあります。小児の遺伝性疾患の治療は、日本よりはるかに進んでいました」

遺伝子検査は、万が一、結果にミスがあると患者の生命予後や、家族の将来にも影響を及ぼす。そのため、ニューヨーク州の規制基準をクリアした病院のみ、患者に検査結果を報告できる。同院はその対象病院だ。

「日本では、ある程度、医師の裁量で検査が行われていますが、アメリカは厳しい基準で検査の質を保証しているのです」

治療については、遺伝分野の専門医や遺伝カウンセラー、栄養士などのチーム体制をとっている。医師やカウンセラーが発症リスクや治療方針を丁寧に説明し、専門の栄養士のもとで食事療法を行う。アメリカの遺伝カウンセラーは、修士レベルの専門プログラムと資格試験をクリアした専門性の高い人材で、近年、急速に増えている。

「日本では、民間の遺伝子診断で、いたずらに不安に陥る患者が出てきたりもしています。リスクを正しく説明できる遺伝カウンセラーや、遺伝の知識を持った栄養士の養成は日本でももっと必要だと思います」

院内の吹き抜け部分には、カジュアルな服装で親しみやすい医師の写真が飾られている
診察室の一室。日本とそう変わらない。
遺伝子研究を行う研究室
公的な規制基準をクリアしたことの証明書
  • 最先端のがん治療

ワトソンに自院のがん治療を分析させ
グローバル視点で医療の質の向上を図る

視察先
Memorial Sloan Kettering Cancer Center
【メモリアル・スローン・ケタリング・がんセンター】

外来と1泊入院に特化した
がん手術センターを開設

NY州の中心、マンハッタンに位置する「メモリアル・スローン・ケタリング・がんセンター」(MSKCC)は、1884年の創設以来、最先端のがん治療を提供している。アメリカの時事解説誌『U.S. News&World Report』内のランキングでは、がん部門のベスト・ホスピタルで毎年1位か2位というトップ施設だ。

近年は、個別化医療に力を入れており、同院で開発した「MSKインパクト」は革新的ながん遺伝子検査として注目されている。がん関連遺伝子変異を網羅的に解析し、分子標的治療薬の適応を調べる技術だ。従来の技術より、遺伝子変異を検出する能力が優れており、日本の大学病院等でも導入するケースが増えつつある。

「MSKインパクトはいわゆるセルフリーDNA検査で、血液を用いて細胞由来のDNAを解析することも可能です」

また、病理画像もCTで撮るなどして、迅速かつ高精度な診断を可能としている。

加えて、同院ではIBM社のコグニティブ・コンピューティング・システム「ワトソン」を用いて、がん治療を共同研究している。

「ワトソンにMSKCCの治療法を覚えさせ、診療補助や医師の教育に役立てているのです。患者の年齢や症状、病理や遺伝子検査の結果などを入力すると、ワトソンは瞬時に治療法の選択肢を示します」

この仕組みをソフトフェアにして、インドや韓国、中国、タイなどに販売もしている。真野氏は「アジア諸国の医療水準をMSKCCのレベルに引きあげる取り組みで、グローバルな観点で医療の質向上を図る意義は大きい」と語る。

一方で、研究が進むにつれて課題も見えてきた。

「ワトソンは実績データから分析するシステムです。学会で議論中の治療法など、成否がはっきりしないものの判断には難しさがあります」

将来的な日本の臨床現場への応用はどうか?

「がん治療において日本は、5年生存率ではアメリカより成績がよく、十分ハイレベルだと思います。ただ、病院ごとのバラツキは大きい。治療を標準化させる意味では、有用性はあるのではないでしょうか」

さて、MSKCCは研究を深化させる一方で、医療の効率化にも余念がない。2016年には最先端のがん治療を、外来と1泊入院で提供する「ジョシーロバートソン手術センター」を設けた。開設から22ヵ月で、すでに手術件数1万3000件以上の実績をあげている。

「病院がひしめくNYでは病床数が規制されています。そのため、簡単な手術や化学療法を効率的に提供するセンターを作ったのです」

同センターでは、ICTを用いた効率化を実行している。その一つが、医師のリアルタイム測位システムだ。医師は小さなウェアラブル端末を身につけており、院内のどこにいるかが把握されている。

「日本でも実験的に実施している病院がありますが、まだ実用化には至っていません。監視されているようで、抵抗を持つ医師が多い模様です。アメリカでは医師でもオンとオフが明確なため、勤務中の行動が透明化しやすいのかもしれません」

その他にMSKCCは、患者が病室にいたまま医師とビデオチャットで話したり、手術室の空き状況をリアルタイムで確認できたりするシステムも活用されている。日本でも効率化対策として参考になりそうだ。

ニューヨークのビル群の中に2016年に開設した、がん手術センター
病原の発見を早め確率をあげるため、病理検査ではCTを活用
医師がウェアラブル端末を携帯することにより、院内の所在が常に明らかに
資料4 開設から22ヵ月で1万3000件以上の手術の実績
資料5 ワトソンに同院の最先端情報をインプットし、解析のクオリティアップを目指す
資料6 入院患者からもリアルタイムで医師の所在がわかる。ビデオチャットシステムも
資料7 手術室の空き状況はどこからでもすぐチェックできる
  • カナダの最先端小児医療

州政府が主導で医療の集約化を実現。
トロントの小児専門病院に全カナダから患者が集まる

視察先
Sick Kids
【トロント小児病院(シックキッズ)】

NICUのモニターを
遠隔で専門医がチェック

カナダの医療は、アメリカとも日本ともかなり違う。税方式のユニバーサルヘルスカバレッジで、診療に国民の自己負担はない。ただし、家庭医を経て専門医を受診する仕組みで、数が少ないため、待ち時間が長いことが問題となっている。家庭医は予約が1〜2週間先になることも。また、よほど緊急性が高いケース以外、専門医も数ヵ月待ちが常態だという。

今回訪問したオンタリオ州トロントの「トロント小児病院(シックキッズ)」はカナダ最大の小児専門病院。全カナダといってもいいほど広域から小児患者が集まる。CTやMRI、PET/CTが完備され、「アメリカに勝るとも劣らないほど医療の質が高い」と真野氏。救急は年間7万3000件、外来は31万人、手術は1万2000件に達する。

「カナダは州政府が医療に関する責任を持っています。州ごとに、日本の地域医療構想のような体制になっているため、行政主導で集約化を進めやすかったようです。日本では、採算性の問題で、これほど大規模な小児病院を作るのは難しいでしょう」

集約化をすれば、医療のアクセス性が低下する懸念があるが、遠隔医療でカバーしている。

「メインはドクターtoドクターのビデオカンファレンスやコンサルテーションです。NIUCのモニターを専門性の高い医師が見てアドバイスする場合もあります。今後は、ドクターto患者や、看護師やコメディカルto患者の遠隔医療も予定されており、日本より遠隔医療が進んでいる印象でした」

カナダでNO.1、世界でも有数の実績を誇る
広々とした吹き抜けのエントランスは遊園地のような雰囲気
検査室も、子供向けにカラフルにペインティングされている
資料8 ドクターtoドクターの遠隔医療が進む

※資料1〜8は視察時に各施設から提供されたもの